よぴぴの文章について

ちょっと長いです!気を付けて!!!

 

青山吉能さんの文章について

学生の頃は物書きを目指しながら自堕落にやっていた私ですが、数多く存在する文章の形態の中で「コラム」というのはとっつきやすくも完成させるのはかなり難しい物だと認識しています。

 

例えば、「論文」
論文というものは何かの「答え」「成果」があって成立するものです。屁理屈くさくなりますが、その「答え」にたどり着く為の努力は「執筆作業」ではないですよね。答えがあればそれに沿って文を書けばいいだけなので、難しいことでは無いです。

 

例えば 「手引書・説明書」
簡単です。物事に対するやり方とか、仕様を個人の主観じゃないところから説明するだけです。気を付ける事項は誤字脱字みたいな、文章構成に於ける大筋から離れた所にあります。校正は必要でつが…w(←おもろい)

 

例えば「日記」
難しく考えなければ、その日あった出来事をそのまま書くだけです。そこで感じたことを書くとなるとどこまで書けばいいのか迷うかもしれませんが、日記に対してそこまでの文章量を求める人はいないでしょう。

 

ここで、辞書で「コラム」を引いてみましょう。

 

新聞・報道雑誌・ニュースサイトなどに掲載される、ニュース以外の記事。 つまり、個人的な分析・意見が含まれている記事で、評論やエッセイの他、人生相談コーナーや「オススメ○○」などといったものも含まれる。

 

どう思うでしょうか。

 

Wikipediaを辞書として扱うな!馬鹿者!」といった意見は受け付けておりません。実際一番わかりやすいでしょうが。

 

これを見て「漠然としてるなあ」「広義的だなあ」なんて思った人もいるのではないでしょうか。
そうです、コラムって意外と、定義づけられた存在ではないのです。

 

しかし、ネームバリューがあります。存在を知らない人の方が少ないと思いますし、媒体があれば差し込むことができます。「コラムニスト」なんてカッコいいじゃないですか。(笑)

 

それが故「とっつきやすい」、つまり「やっている人が多い」ジャンルです。

 

じゃあ何故私はコラムを難しい物だと認識しているのか?

 

答えは文章中に出ています。

自分が「簡単な例」としてあげた「論文」「説明書」「日記」、この3つの簡単なところは

論文:答えがある

説明書:主観がいらない

日記:文章量が求められない

 

コラムにはこの3つが当てはまりません。

答えなんてものは無いし、主観のことしか話さないし、ある程度の文章量が必要です。

視点を落としてみてみると、読書感想文なんかも同じですね。だから夏休み最終日に少年少女は担保された答えを求めてGoogle先生を頼るのです。

 

答えという制約がないと文章は右往左往してしまい、主観の言語化はとても難しい。なのに公開するためにはある程度の文章が必要になる。

 

なんだか考えるだけで億劫になってきますよね。

 

しかし私は、青山さんの文章と「コラム」との親和性は底知れないと思っています。

 

青山さんの文章はコラムにおける3つの課題をすべてクリアしています。

 

「答えがない」=「その代わりに芯をもった貫徹した文章が書ける」

「主観が必要」=「感情爆発野郎」

「文章量が必要」=「考え想うことが多いから、文字も多くなる」

 

もちまえの表現力と感受性、そして限界オタク力(ぢから)がふんだんに使って課題を蹴散らしている印象です。

青山さんの文章を読んでいる人ならみんな分かってくれると思います。

そうじゃなければ週1ブログを6年間もかけないし、個人コラムを60回も連載できないでしょう。

青山さんのコラムは課題点を長所へと見事に昇華させている、そんな風に思います。

 

その長所の中で一番輝きを放っているのは、やはり青山さんの「主観」だと思います。

 

前置きが長くなりましたがここからが本当に言いたいことです。

 

文章を書くにあたって個人的に一番難しいと思うことが「感情のアウトプット」です。

思ったことをつらつらと書き連ねるだけならだれにでもできますが、そんな文章に語彙力は追随しませんよね。だからと言って強い言葉で固めようとしてもうまくかみ合わないことが殆どですし、少し間違えると人を傷つける刃物になりかねない。 力の入れ具合が本当に難しいです。

人間臭い文章なんてなかなか書けるもんじゃないです。文なんて所詮データなのですから。

 

でも青山さんはそれをなんとも繊細に絶妙に、砕けた印象を持ちつつどこか力強さを感じさせるようにこなしていると私は感じます。

 

具体例なんてものは枚挙にいとまがないレベルですが、とにかく青山さんはもっぱらすごい技術を披露しているんです。僕を信じてほしい。

 

だからこそ、自分は青山さんに嫉妬してしまいます。自分が一番難しいと思っているものをいとも簡単に、巧みにやりこなしている。嫉妬せざるを得ません。

読んだ後、ため息が出てしまいます。力量の差を感じて。

 

でも、絶対次も読みたくなる。 コラムが更新されると同時に掲げられる「テーマ」に対し青山さんは何を思っているのか。どんな内面をどう言語化しているのか。そこにどうやったオチをもってくるのか。などなど… 気になってしまうんですね。打ちひしがれるとわかっていながら。

 

あふれ出す自分の感情で、読み手の感情も搔き乱す。その立てた爪は深く刺さり、心はなかなか離れない。

青山さんの文章はそんな文章だと思っています。

 

この数行に言いたいことが詰まっていて他の文との整合性が取れなくなってきてしまっていますね!これ以上恥をかく前にこの辺で打ち止めておきましょうか。引き際、というかオチも大事です。この文にオチをつける気はありませんが。

 

青山吉能さん、あなたにはこれからも、その豊かで壮大な脳と心を文章だけでなく声や歌に載せて、オタクの感情を狂わせて欲しいです。

 

ああ、感情を持つことができる人間に生まれてよかった って。そう思わせてほしいです。